函館海鮮居酒屋
魚まさ五稜郭
地産地消を実践しています。道南は魅力的な食材の宝庫!!
海産物、畜産物、農産物、そしてそれを紡ぐ【人】
函館最大級規模の居酒屋ながら、そのメニューのほとんどを手作り、出来立て、丁寧に。
フードマイレージ、フードロスにも取り組んでいます。
魚まさは、2004年に函館に誕生した
函館生まれ函館育ちの居酒屋です。
一人の【ピアノの先生】が
一から作り上げたお店です。
外観
電車道路一本裏手にございます
掘りごたつ個室宴会場
最大180名収容可能
店内廊下 圧巻の長さです
通常時は全室個室
通常時は全室個室
通常時は全室個室
魚まさの誕生秘話
▶START
2000年頃、
私たちの母である創業者・髙野眞砂子
の親戚が【大手居酒屋チェーン】の店舗を函館市内で2店舗運営しておりました。
「2001年食肉偽装事件」や「輸入牛BSE問題」などが起き、食に関しての注目が高まる時代に突入し、外部環境の変化と共に経営は悪化を辿っておりました。
その頃の仕入れといえばフランチャイズ式経営の為本部から仕入れなければならないものがほとんどで
イカのお刺身だって、冷凍で届いたものをただ解凍して出すだけでした。
【食の安全・安心】が問われる様になった時代に突入
大量生産、原産地が外国産が多くを占める
大手居酒屋のメニューは
地域のお客様のニーズとは離れたもの。
時代背景も重なり売り上げも悪化、経営困難に陥ります。
「このままでは倒産する。立て直しをしなければ」
とチェーン店居酒屋を立て直す手伝いをすることを、母は決意しました。
「みんな手伝える時は手伝いにきてほしい!」と親戚一同に大号令をかけたのです。
それで、親戚一同が集まり見様見真似で お料理のお運び、調理の手伝いや接客を行い
【まずは人件費を抑える】ところから。
ですが、経営経験のない母をはじめ、何もかもに、苦戦するのです。
だって、母は【ピアノの先生】だったんですもの。
昼はピアノの先生、夜は居酒屋の手伝い、という毎日が過ぎていきました。
それでもなんとか、親戚一同で手伝うことにより、人件費を月100万程も削減。
そうなると今度は圧縮するだけでなく必要なのは【売り上げ増!】
その当時の単価は、2000円~3000円といったものでした。
【地元に愛されるには】
フランチャイズ式の経営、仕入れのままだと
地元の業者さん、農家さん、生産者さんには還元されないし
今より安心・安全で美味しいものをお客様に届けたい。
そんな折
「おらの親戚にうまい無農薬野菜つくってるやつがいんだ!今度もってくっから!」
と言ってくださるお客様が現れました。その野菜たちの美味しいこと!
そのご縁はどんどん広がり…
【地元の美味しい食材をもっと使い、届けたい】
と想いが強く増していったのでした。
昔から母は、私たちに食べさせる野菜や食材には気を遣ってくれていました。
そんな家族に対する想いと同じく母はきっとお客様のことを想ったのだと思います。
地元の食材を使用し、地元も愛し地元からも愛されるお店づくりをしよう!と
ひとつふたつ、地元の食材を使用したメニューを作っていきました。
そして、自分たちのつくったメニューの売り上げが
フランチャイズ式のメニューの売り上げを抜いた瞬間…!!
【フランチャイズからの脱退】
することを決意したのです。
簡単に脱退、といっても、違約金やなんやかんやと…とっても大変でした。
それと同時に、運営していた2店舗を同時に
【魚まさ】にブランド変更
緑提灯運動との出会い
2008年、国内での食糧自給率を上げる活動に出会いました。
この緑提灯との出会いは
魚まさのターニングポイントでもありました。
カロリーベースでの日本産食材の提供量
50%を超えれば星一つ ★
60%を超えれば星二つ ★ ★
70%を超えれば星三つ ★ ★ ★
80%を超えれば星四つ ★ ★ ★ ★
90%を超えれば星五つ ★ ★ ★ ★ ★
魚まさは、緑提灯★★★★★を掲げることを決めました。
依然、親戚と共同経営であり
大手フランチャイズ時代の返済も抱えておりました。
その為、経営環境としては良くありませんでした。
親戚との話し合いの末
魚まさを【㈱函館フーズプランニング】として再出発
2009年の話です。もうこの時点で、居酒屋を手伝い始めてから
約10年が経過。母も段々と
ピアノの先生→居酒屋の社長業 としてシフト
現専務は時代のニーズにマッチしたネット戦略を広く展開していき
その様子は【日経レストラン】等をはじめとしたメディアにも注目されました。
海鮮居酒屋【魚まさ五稜郭店】
海鮮居酒屋【魚まさ美原店】
惣菜店【タカノキッチン】
スイーツ店【ストロベリーパルフェ】
を運営しておりました2010年
なんと母は
【札幌に魚まさをつくる】
私達の店が函館の食のアンテナショップの役割を担うんだ、と。
2011年 南4条西5丁目 F45ビルの8階ワンフロアにて
【魚まさ札幌すすきの店】を開店
そして2016年には
それまでテナント物件でのみ運営してきた私たちにとって
初の自社物件
として【函館海鮮居酒屋 魚まさ五稜郭総本店】を開店。
その1年後、創業者である母は病に倒れ、他界しました。
病床でも常に「どんなお料理が喜ばれるか」
「どうしたらより良い会社にしていけるか」を
ノートに綴り最期まで考えていた、そんな母でした。
そして、2020年1月
新型コロナウィルスが流行。
繁華街に立地していた
【魚まさ札幌すすきの店】は影響を
甚大に受け5月に閉店を
与儀なくされました。
あと少しで10年目になろうかという店舗。
本当に、悔しい気持ちでいっぱいでした。
相当な経営的なダメージを受けています
本丸である【五稜郭総本店】だけは死守を…
そんな殿の気持ちで立て直しに挑んでいます。
どうか、また穏やかな日常
笑顔が戻ります様に。